「愛」が邪魔になる

エイズの啓発キャンペーンでは、「愛」が邪魔になります。

今年もエイズデーが近づいて来ましたね。私は、今年は、遠出がないんで結構ゆっくりできます。

神戸市、尼崎市での講演と、医学部生主催(大阪)のもの、神戸市立外国語大学のものの4つに関わらせて頂きます。新たな出会いがありますから嬉しいことです。

今年の世界エイズデーキャンペーンテーマ

「LivingTogether?ちょっとの愛からはじまる事?」

について。

例年、日本のエイズデーのテーマは、「?」なんですが、これは、お偉い方が決めてしまうので、「まあこんなものかな?」と諦めていましたが、今回は、ぷれいす東京の生島さんの提案で、公募になってよかったと思っていたら、

「LivingTogether?ちょっとの愛からはじまる事?」

になってしまいました。

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選定の主旨

様々なセクシャリティ (性行動の対象の選択や性に関連する行動・傾向 )の人々や、HIV陽性の人々、陰性の人々が一緒に生きている現実をありのままに受け止め、エイズのまん延防止や差別・偏見の解消のために、ひとりひとりに何ができるかを国民全体で考えていく。

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なんですが、どう考えたらこうなるのか理解できません。


いつも言っているように、エイズの活動に、「愛」を入れてしまうと、宗教、価値観等の介入を招き、愛のないセックスをしている人たちには、響きません。例えば、性風俗を利用している多くのみなさん。

特に、特定の相手からの感染も拡大している中では、予防啓発に「愛」を入れてしまうと、偏見をあおり、啓発の邪魔になります。

これは、ぷれいす東京の代表の池上さんもずっと言い続けておられるのですが、

「愛があるなしに関わらず」 → 「セックスするならコンドーム」

が、現実的なんでしょう。

あるいは、

「愛があればあるほど」 → 「セックスするならコンドーム」

になるのでしょう。

今年の神戸市世界エイズデーの記念講演は、慶応大学の樽井正義先生に「HIVと社会倫理」というお題でお願いしています。28日の神戸新聞朝刊の1頁を使用して、エイズデーの企画特集をしますが、神戸では、当然、このテーマは、使えないんですね。

まあ、「ちょっとの愛」は、気配りという程度なんでしょうが、「愛」という言葉を安易に使用してしまうあたりに、日本の世界エイズデーは、行政(エイズ予防財団)に対する啓発がまず必要なんだろうと思います。

公募の意味がありません。

今年もまた、税金を投じて作った、使いたくないテーマのポスターが、大量に全国に出回って、HIVとともに生きる社会を阻害します。

もう、いいかげん気づいて欲しいのですが、、、

エイズデーは、教育の立場の文科省ではなく、公衆衛生の立場からの厚労省の啓発ができるはずなのに、、、

今年は、神戸では、この問題を神戸新聞や樽井先生の講演でも考えたいと思っています。

そして、このコピーの入ったポスターを使用する際は、伏字にして使用しようかとも思います。その方が目立ちますから、問題提起になると思っていますが...

「感染予防」と「愛」は、全く関係ないとは言わないですが、感染を防ぐのは、「愛」ではなく、「コンドーム」なのでしょう。

「愛のない人」 = 「感染した人」 = 「自業自得」

では、「ともに生きる社会」には、とうていなれません。

ちなみにこのポスターは、

二羽のかわいい鳥が、見詰め合っていて、左は、オスでプルー、右は、メスでピンク(頭に赤いリボン)になっています。ジャンダーバイアスも気になるところです。クィアな人?なら理解できても、市民には、そう見えてしまいます。

現在の日本では、感染経路の第一位は、「ゲイ」なんですが、このポスターからは、対象外になっています。

そして、なぜか、「ちょっとの愛からはじまる事」という文字がないんです。その代わりに、「大切なパートナーの為に、できる事からはじめましょう」というコピーが使われています。

せっかく公募したコピーなのに、使わないなら公募の意味がありません。

そして、「大切なパートナーの為に」も戴けません。セックスをしている人は、大切な人ととは限りませんが、、、。

「大切なパートナー以外とセックスした人」 = 「感染した人」 = 「自業自得」

感染した人に、「だからエイズデーで啓発したでしょ!!大切なパートナーのために」って。

もう勘弁してください。

● かわいいポスターは↓(すっきりしていていますが)

http://api-net.jfap.or.jp/htmls/frameset-11.html


 

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