ともに生きるという意味

簡単に使いすぎて本質を見失っているように思います。 . . . 尼崎市エイズデーと医学生との勉強会に行ってきました。二つの会合でとてもいい学びができたように思います。

私の話は、患者の側から見た話ですから、色々なところが現行の予防啓発活動から発信されるメッセージとは違うことに気づいてもらえたと思います。

HIVともに生きるという言葉を簡単に発信していますが、実は、この言葉を発信するには、2つの側面をきちんと整理していなければならないことに気づいて頂けたと思います。


? HIVつまり、ウイルスに関する倫理的側面

? ウイルスではなく、それを取り巻く背景に関する倫理的側面


? HIVは、たくさんあるウイルスの一つですから、それ自体が持つ問題は、一般的な感染症対策の一つとしての認識でいいのだろうと思います。HIVを広げないために、先ず治療をすることと、予防を促進するということが大事です。

? これが問題です。陽性者は、ウイルスを排除できない中で、一生HIVとともに生きるわけですから、これをしっかり認識していないと、図らずも排他的な側面が強調されてしまいます。

つまり、主な感染経路を性行為や薬物使用という隠したいところに得たHIVですから、それを可視化することが難しいのでしょう。そして、「自業自得」と決め付けたい人たちがいらっしゃいますし、道徳の外れた人たちが感染するという発信は、社会的には受け入れやすいのでしょう。

セクシュアリティやセックスーク、薬物使用などが密接に関係していますから、普通の人にとっては、よほど理性的に考えない限り、理解が進みにくいというわれわれの中の脆弱性があります。

そして、増え続けるHIVにどう向かい合うかは、もう世界のエイズ対策30年以上の歴史から、何が有効な対策かも導き出されていますし、何をしてはいけないかも同様な訳です。

それを勇気を持って一つ一つ実践することを始めなければならないはずが、どうしても、感染経路などの知識の普及ということしかできないのですから、これでは、増え続けて当たり前なのでしょう。

日本では、知識だけでは防げないと指摘されて久しいのですが、知識の普及もまだまだですから、どうしても予防ばかりが強調されてしまうのでしょう。

では、あと何年、現在のような予防啓発をすればいいのでしょうか?何年経てば、HIVの感染拡大が減少傾向を示すのでしょうか?

日本でも、いち早く感染が拡大し、コミュニティが小さく、厳しいHIVの感染拡大にさらされて、予防を伝えやすいMSM(男性とセックスをする男性)はどうでしょうか?

そろそろ違う方向の啓発のあり方が必要ではないかと、私はエイズデーのたびに思ってしまいます。

もっと現実をしっかり見つめて新たなアプローチが自由に語れるようになればいいなと思います。

それが、「ともに生きる」という社会の実現なのでしょうが、あまりにも、「ともに生きる」という深い意味が理解できていない中で使用されてしまって、啓発の方向性もあいまいになってしまっています。

この整理をし、どう高いモチベーションにつなげ、どう予防効果を維持するかが問われるのではないかと思います。

○、×ゲームで感染経路を学ぶだけでは、高いモチベーションは得られないのでしょう。性と生を考えるには、もっと深い理解が必要だということは間違いないのですから、できることからはじめるそんなエイズデーにしたいと思います。

公衆衛生の側面だけでは解決困難なエイズ対策ですから、若い人たちが自らの生きる将来の社会について、多様性について深く考える機会がエイズデーなのかもしれません。
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