介助犬のこと

あまりいい報道ではありません . . .

兵庫県が先月、身体障害者向けに職員採用試験を実施した際、女性受験者の「介助犬同伴で受験したい」との申し出を拒否していたことが分かった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081212-00000062-mai-soci

このニュースについて、今夜は、皆さんと考えたいと思います。

このニュースを見てすぐに、私は、白杖を使用しているのことを思い出しました。視覚障がい者の方の持つ白杖については、世間ではほとんど使用される方の理解が進んでいませんし、今回の介助犬の問題と同列にしてはいけないと思います。

そして、何より、「白いつえ」ではなく、「白杖(はくじょうと読みます)」です。

それで、このコメントをされた、「日本介助犬使用者の会」会長の木村佳友さんに、↓のようなメールをさせて頂きました。

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新聞のコメント拝見しました。

視覚障がい者の方の持つ白杖については、世間ではほとんど使用される方の理解が進んでいません。そして、「白いつえ」ではなく、「白杖(はくじょうと読みます)」です。

白杖は、持ちたくても持てない方がたくさんいらっしゃいます。それは、白杖を持つことにより偏見にさらされるからという心理的な理由からです。そして、白杖は、道交法第14条で使用を義務付けられているにも関わらず、上記の理由から、リスクを承知で使用していない方が
本当にたくさんいらっしゃいます。9割に上るという調査もあります。

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第十四条
1.目が見えない者(目が見えない者に準ずる者を含む。以下同じ。は、道路を通行するときは、政令で定めるつえを携え又は政令で定める盲導犬を連れていなければならない。

2. 目が見えない者以外の者(耳が聞こえない者及び政令で定める程度の身体の障害のある者を除く。)は、政令で定めるつえを携え、又は政令で定める用具を付けた犬を連れて道路を通行してはならない。

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そんな方が、盲導犬を使われるようになると、社会でも学校でも犬の人気にあやかって明るくなられたという話を耳にします。しかし、これは、あべこべで、白杖を持ちやすい環境を作ることが先決だと私の知人の視覚障がい者は訴え続けています。

目が不自由というのは、世間では、最も不幸な方のように映る日本社会もあり、特に後天的に障害をもたれた方ほど、白杖に対する抵抗が顕著です。

そんな背景もありますから、簡単に、「介助犬と白つえは同じ」とコメントされると違和感があります。白杖は、法律で携える義務です。使用せず事故を起こせば、使用者責任(過失)を問われるにも関わらず、持てない方が圧倒的に多い厳しい現実があります。

あえてこのような例えをしなくとも、介助犬への理解を求めることも十分に可能かと思います。

色々な人たちがともに生きている市民社会があります。どうか、視覚障がい者の皆さん、とりわけ偏見から白杖を持つことのできない皆さんにも心を寄り添って頂ければと思います。

今回の介助犬の同伴ができなかった事例については、概ね報道の主旨のとおりだと思いますが、コメントでは、新たな誤解が生じると思っています。

私は、神戸でHIV陽性者のサポートをさせて頂いています。しかし、決してエイズへの理解だけではなく、色々な方がともに生きることのできる心優しい市民社会を目指したいといつも思っていますので、さまざまな活動にご配慮をお願いします。

寒さに向かいます。皆様のますますのご活躍をお祈りしています。

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同様のコメントをされた社会福祉法人日本介助犬協会(東京都)の高柳友子事務局長あてにもメールをさせて頂きました。

代表は、このように問題が発生した際に、メディアからコメントを求められることがありますが、本当に難しいと思います。不用意なコメントをしてしまうと、図らずもご自身の認識不足を露呈し、他の分野の皆さんに誤解を与える可能性があります。

私もかつて、各紙の全国版で、神戸市の部長級医師による『エイズ患者はうつす可能性があるから死んでしまえ(毎日新聞)』という不適切発言についてのコメントを頼まれました。これは、市内の中学での性教育の授業での発言でしたから、問題は深刻です。

これに対して、私の当時のコメントは、

「...単にこの医師を責めるのではなく、今回の問題を真にHIVともに生きる心優しい市民社会を構築するための試金石にしたい」

とまとめました。

そうすると、各地の医師から、「冷静で、共感できるコメントをありがとう」というメッセージが着ました。つまり、医師の不適切発言を単に批判するのではなく、それを一緒に乗り越えようとのメッセージにしたのです。この医師を責めて、「もうこんな性教育には関わらない」や、「エイズは難しいからもうゴメンだ」と心の中で思われたら、それで終わってしまうのです。

また、全国の医師についても同様で、神戸のNGOからの責めないコメントに安堵されたのでしょう。

責めるだけでは得策ではないとの私の判断が、各紙に掲載された結果、事態は急速に収束し、神戸市の幹部の皆さんもほっと胸を撫で下ろしたことがありました。

そして、速やかに再発防止の研修会を、旧知の薬害エイズ大阪原告団第4代団長の花井十伍さんや藤原良次さんにお手伝い頂いて、神戸市保健福祉局全体で取り組みました。私も講師をさせて頂き、「HIVとともに生きる社会をともに作りましょう」と親しく話をさせて頂きました。

この対処で、神戸市も、私がいつも、「闘わない」という意味がよく理解できたことになり、今まで以上に信頼関係が高まったのです。これが、神戸の私の戦略なのです。

だから、現在の神戸市との信頼関係が強固なのです。ともに生きる社会を作っていくために、行政とNGOは、強固なパートナーシップを持って、どんなときにでも協働することを確認しているのです。

悪いのは、HIVなんですね。闘うべきはHIVだということです。不適切発言をした医師でもなく、差別・偏見の残っている市民社会ではないんです。

コメント一つで、結果は大きく異なります。つまり、介助犬の問題をアピールしたつもりが、図らずも他者への配慮を欠いてしまう結果になるのです。

このような例えをしなくても、十分に理解を訴えることができると私は思います。

この際、新聞社にも、申し入れをします。また、神戸新聞でも、今回の一連の流れの特集を組んでもらってもいいでしょう。そうすれば、介助犬への理解も視覚障がい者への理解も進みますね。困難をきちんと整理して、それを乗り越えるという発信をしたいものです。

特定の活動をしているということは、他の活動については、知識が不足している場合もありますから、私も常に気をつけて発言しているつもりです。改めて代表の発言は、重いと思います。

今回の介助犬の問題は、まだまだ色々と別な意味で問題があります。またの機会に書いてみたいと思います。

 

 

 

 


 

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