宗教は尊いか?

エイズというフィルターを通して宗教を考えてみると . . .

ローマ法王ベネディクト16世のカメルーンでの発言が議論を引き起こしています。

エイズが広がるアフリカの地で、教義に基づいて話したエイズについての発言。

そのお言葉は、

「コンドームはエイズ予防に役立つどころか、かえって問題を増幅させる」

教義を守るという立場からの話ではあるが、現実を全く顧みない非科学的な内容は、世界中に波紋を投げかけているらしい。典型的な保守的な考えで、これでは、エイズのパラドクスにまんまと陥って、ますますHIVを広げてしまうことは明らかなのであるけれど。

ローマ法王という立場からは、

『教義を守る=組織を守る』

ということになるのだろうけれど、この話は、そもそも宗教とは何かという大前提に関わる話になってしまう。

教義を守る人たちだけを幸せに導くというものならば、救え切れない多様な人たちが多すぎて、果たしてそんなものが宗教と言えるのかということになる。

偏見を広げることに直結してしまう教義と言う狭いメジャーで計ってしまっては、苦しみの中にある人たちを追いやってしまうことになりかねない危うさがある。

HIVは、性の乱れた人たちの病気という効果的なエイズ対策を最も阻害してしまうことを平気で語ってしまう。そして、それによって感染者と悲感染者の溝を深め、『ともに生きること』を阻害し続ける。

キリスト教と同性愛の問題も今では現実離れしていることは明らかで、ゲイだと分かれば一方的に破門するという姿勢は、本来の宗教からは遠いように思う。

キリストの愛は、そんなに狭いのか?

今回の発言も、各地で波紋を呼び起こしているようだけれど、これを機会に、ぜひ、傷ついた人々の心を救うという宗教の本来の姿を再考して欲しいと思う。

読売新聞の報道にあるように、各地でローマの方針に従わず、コンドームを配ったり、同性愛を理解しようとする現実的な動きがある。つまり、現場が離反しているということ。

梅原猛さんは、

『宗教が尊いのではなく、信心する心が尊い』

と実に明快なご意見。教義にこだわれば、戦争になると言う歴史を顧みればよく理解できる。

エイズが私たちに警鐘を鳴らし続ける『ともに生きる』という思想は、深いと改めて感じる。

組織の上に立つものは、リスク管理ができないとならない。私が法王なら、

『エイズ対策は、宗教には馴染まない』

と判断を保留し続けるだろう。それが科学と相反する教義を守る唯一の道に他ならない訳だから。そろそろ法王も厳しい現実をしっかり把握して、大人の判断をするときに差し掛かっていると私は考えていますが...

今からお彼岸の墓参りに母と行くのだけど、ゲイである私は、仏教徒で本当によかったと心から思う。心のよりどころとして幼少より受け入れ信じている宗教に否定し続けられる人たちの心は痛んでいるだろうし、教義に反する人たちを排除することだけの宗教では、平和は築けないと思う。

そして、エイズは蔓延する。


読売新聞の報道

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090320-OYT1T00790.htm
 
 
 
 
 
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